ボナパルト家の子育て

我が家の子育てで、私が思う事。

悪い事をしない子どもに育てるためにすべきたった一つのこと

「色が白くて可愛いねぇ〜!

 こんなに色白なら将来はモデルさんになるかもしれないから、日焼けしないようにしないと!」

「あ!パパはゴルフ好きだから、

 この子は将来プロゴルファーにしたらいいね!」

私の両親が、私の娘の将来を語りだすと、

ジジバカ・バババカすぎる会話が始まります。

本人たちもわかっていて、そんな会話を楽しんでいるだけなので、

私としてはとっても微笑ましい家族団らんの時間です。

 

でも実際のところ、そんなふわふわした話じゃ足りなくて。。。笑

 

私は、我が子がどんな子どもに育ってほしいのかをいろいろ想像します。

主人も然りで、二人でよく話し合ったりします。

もちろん、それは、

「絶対モデルにさせないと!」とか、

「東大に入ってほしいなぁ〜」とかいう次元ではなくって、

もっと根本的なところです。

 

ニーチェの言葉にこういうものがあります。

 

子供のうちに特に強くしつけておくべきは、清潔好きの感覚だ。
もちろんそれは、手を洗うことによって汚れや病気から身を守り、健康を保つことができるようになるからだ。

また、その清潔好きの感覚は、やがて他の精神的な面にも広まっていく。
つまり、盗みをはたらくことやその他の悪徳を汚れとみなす感覚へと高まりうる。
同じようにその子も、社会的人間としての節度、清純さ、温厚さ、よい品性などを好むようになるのだ。

こうして習慣となった清潔観念は潔癖さを呼び、生きていくうえで幸福になる要素や契機を自然にわが身に引き付けるようになるのだ。

ニーチェ『漂泊者とその影』

 

 

子育てについて正解はないし、いろんな考え方があるとおもいます。

でも、自分の子どもに犯罪者になってほしい親はどこにもいないと思いますし、

たとえ法的に罰せられなくっても「悪い」ことはしない人になってほしいと親なら思うのではないでしょうか。

たとえ自分が罪を犯してしまった親だったとしても。

 

私はこの哲学に出会ったときに、とても心に響きました。

「悪い」ことをしたくないのか、

「悪い」ことをしても何もメリットがないからしないのか、

では決定的に違うというのに最近気づいたからです。

 人を裏切ったり、傷つけたり、盗みをしたり、事件を起こしたり、

そういう事を心からしたくないと思うひとと、

刑務所に入るのが嫌だから、仕事がなくなるからしないひととでは圧倒的に違うのです。

 

 

思春期に誰かがタバコを吸い出して、

タバコをすうのは自分の気持ちが嫌だから吸わない人と、

先生や親に怒られたり、停学や退学が嫌だから吸わない人とでは実はとっても違います。

 

たまたまドラッグをやっている人が一緒にやろうと誘ってきて、

自分はドラッグをやりたいとは全く思わないからやらない人と、

興味はあるけど逮捕されたり、事件に巻き込まれたりしそうでなんか怖いからやらない人とでは、

すごく違います。

 

例えばこんなとき、その感覚は顕著になってくるのかもしれません。

深夜、車を運転していていきなり飛び出してきた「何か」にかすったようなかすってないような気がしたとします。

もしかしたら人かもしれないけれど、多分違う気がします。

違和感を感じたのは確かです。

でもあなたはとっても急いでいました。

すごく、すごく大事な用事です。

そのとき、車を脇に止めて「違和感」は何だったのか確認できるか。

もしかしたら人かもしれない。怪我をさせてしまったのかもしれない。

いや、人をひいてしまったのかもしれません。

心から「悪い」ことをしたくないひとは、きっとここで立ち止まれます。

何か別の理由があって「悪い」ことをしたくないひとは、そのまま過ぎ去っていくかもしれません。

そこで立ち止まっていれば助かったかもしれない命を、

立ち止まらなかったばっかりに奪ってしまうかもしれません。

 

これは大げさかもしれませんが、

でも本当に、

人生はこういったことの連続だと思うのです。

常日頃の自分に染み付いた感覚や思いが、自分の言動を左右し、

自分の言動で、自分のやることの流れが決まり、

自分がやることの連続が、人生だからです。

こんな有名な言葉もありますね。

 

心が変われば行動が変わる。

行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人格が変わる。

人格が変われば運命が変わる。

 

ウィリアム・ジェームズ

 

心から「悪い」ことをしたくないひとは、

何か別の理由があって「悪い」ことをしたくないひとより、

圧倒的に豊かな人生が送れると思うのです。

 

 

ニーチェの言葉に

清潔好きの感覚は、悪徳を汚れとみなす感覚へと高まりうると

ありました。

 

理由はわからないけれど、心底そうだと思いました。

私も、いまよりもっと清潔好きの感覚になりたいと思いましたし、

子どもには絶対にこの感覚になってほしいと強く思いました。

 

そして身近な人を思い浮かべてみました。

そういえば、清潔好き ( =汚いものが嫌い) のひとの方が、

なんだか 悪いこと (=汚いこと) を心から嫌うような気がします。

 

 

 

子どもになってほしいことには、私がまずなる。

子どもに清潔好きの観念を習慣としてほしいから、

わたしが清潔好きの観念を習慣とします。