ボナパルト家の子育て

0歳・2歳のとしご子育て

親の所作は子どもにそっくり似る

里帰り出産のため、実家に帰ってきて1週間たちました。

母と言葉をかわし、行動を見るたび、

父の言動を目の当たりにするたび、

私の直さなきゃと思う所作の元凶がここにあったと痛感します。

 

もちろん、逆もしかりで、

私のよいところも、

彼らから受け継いでいるのでしょうが。

 

例えば私の場合、

会話のキャッチボールができなかったり、

飲んだお水をちょこっとだけ必ず残したり、

足音がドタバタだったり、

自分の耳が悪いのに聞こえないのは相手の発音のせいにしたり、

基本的に上から目線で話をしてしまったり、

 

かいていけばキリがないのですが。

 

特に両親も、悪気があってやっている訳ではないですし、

世に言う「毒親」には程遠いのでしょうが、

こうやって実家に帰ってみると、

やはりそういうところが目についてしまいます。

 

そして、相手云々よりも、

そういう言動の人と生活するときの自分のメンタルを保つ大変さを知り、

主人はよく私と生活してくれているなぁと

改めて本当にありがたく感じました。

主人の懐の深さを大きく感じました。

 

同時に、

私は自分の言動を早急に変えないとと、

強く強く思いました。

意識しなければしないほど、

子どもは親の環境に似てしまうのです。

 

たまたま、こんな本に出会えました。

 

毒親サバイバル

毒親サバイバル

 

 

 

こちらの記事で、第1話が読めます。

toyokeizai.net

 

 

親が、毒親かどうかは無関係に、

子どもにとって、

家族の当たり前は自分の当たり前、

親の当たり前は家族の当たり前で、

それはよいことも悪いことも

自然に身について、

離そうにも離れない習慣となっていくんですよね。

 

有名な、

 

心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。

 

 

にあるように、

その人の習慣が、

その人の性格・人格をつくっていきます。

その人の習慣は、

家族(親)の習慣に酷似します。

 

私の気にする所作も、

文字にしてみれば小さなことかもしれませんが、

その積み重ねが私の習慣となり、

性格・人格となり、

それは娘の性格・人格にも強く影響し、

それが娘の人生をかえていくことを思うと、

やはり私の小さな所作を

良い方向へ、良い方向へ変えていきたいし、

いく必要があると、

とても強く感じました。

 

 

 

 

 

 

1歳6ヶ月幼児食日記

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今日の朝ごはん🥞

🎈かぼちゃのパン

🎈ウインナー

🎈バナナ

🎈りんご

 

ウインナーとかは本当はあげたくないんだけど、

大人のをみて欲しがるから、

一応。。。

結局、自分のは食べず、

私のお皿から奪いとったウインナーを食べました💧

 

1歳未満の赤ちゃんのママへ、子育て正直ちょっとしんどいなら読んでほしいです。

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はじめての子育て。

世間はわたしのことを「ママ」だからと見るし、

わたしも自分が「ママ」だからって

すっごく気を張っていました。

 

1歳過ぎるまでは、

すごくしんどかったなぁ。

娘は思う通りに動いてくれなくて、

(今思えば当たり前なんですが)

家事は進まない。

主人はなんでこんなに何もできないのと言う。

子どもの教育とかを考えるけど、

全くどうしていいかわからない。

調べてみるも、まだ先の話。

まだ、6ヶ月くらいまでは、

できることも限られていてよかったんです。

だんだん娘のできることが増えていって、

産後、病院では

徹底した手洗い・除去を指導されたのに、

どんどん汚いものを触ろうとする娘。

しかも口に入れる😵

ひたすら除去シートで拭きまくった時期もありました。

語りかけてもみるけれど、

わーずかな反応があるかないか。

 

1歳過ぎて、

娘がいろんな反応を見せてくれるようになり、

わたしも、

そうだ、わたしもまだまだママになってたった一年かぁ、

まだまだ分からないことだらけだなぁって、

自分の未熟さと向き合えるようになったら、

気持ちがすごく楽になった。

娘のこと、無知な状態で決め付けるんじゃなくて、

ただただ観察できるようになった。

観察できるようになると、

小さな変化も、ささいな気づきもすごく楽しめるようになって、

毎日が楽しくなってきた。

 

子どもは日々成長しているのに、

娘がつかまり立ちでいつ倒れるかわからない時期は、

永遠な気がした。

わたしは、死ぬまでこうやって、

四六時中見守り続けるんだと思った。

いま考えれば当たり前だけど、

どんな時期もすぎてみれば一瞬。

永遠と思うとつらいのに、

過ぎてみれば一瞬と思って接することができたら、

ずいぶん幸せな時間に感じるから不思議。